日本古来の“素描”

 高校三年の初めに京都へ修学旅行に行った際に博物館で観た“能装束”の展覧会は私にとってセンセーショナルな出会いでした。

その展覧会は、お能の豪華絢爛な衣装と下絵が同時に展示されているというものでした。私が心を奪われたのはその下描きでした。和紙に墨と顔彩で描かれていて、失敗すると和紙で覆い描き直し、気に入らないとさらに紙を重ね墨を引く。私は西洋の“素描”にすでに慣れていて、紙と鉛筆で描くことが大好きでしたが、どこかしっくりいかない気持ちもあったのです。

西洋紙の分厚い存在感、固さ、消ゴムで消して形を「無かったこと、ゼロにすること」への抵抗感などがその理由だったように思います。

そしてこの日本古来の“素描”に出会った時「私達には昔からこういうデッサンの描き方があったのか」と嬉しくなったことを覚えています。描き損じの痕跡も残る日本の古来の下絵の描き方・・・描き損じてはいるものの、和紙を重ね合わせた下から透けて見える形から何故いけなかったかを学ぶ、または完全に覆い隠し再び描くことにより「よりよい形が生まれ」、覆われた形は決して「無駄ではなかった」ことがわかります。

以来私はこのやりかたで作品をつくってきました。障子に穴があくと、桜やもみじの形の障子紙をあてがう、その日本人の美意識。もっと貼ってほしくて弟と共にわざと穴をあけた思い出。身の回りの紙との思い出は尽きることがありません。湿気の多いこの国で、肌が呼吸をするように息をする和紙、アジアの紙。安心感とともに感じる手強さも含めて、私はこれらの紙に20年来魅せられ使い続けています。今年は透明水彩の作品にも使ってみようと思っているところです。

2005.05.30

 

 

BACK